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[機械設備] 海上的鋼鐵浮城 日本海軍篇 - 梨號驅逐艦(二代)

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發表於 2015-6-14 23:48 | 顯示全部樓層 |閱讀模式
本帖最後由 鴉樂 於 2015-7-9 10:11 編輯

橘級(改松型)驅逐艦 - 梨(なし)號驅逐艦

※資料來源所故因此文為全日文。








梨(なし)

本項目では日本海軍駆逐艦「梨」と併せて記述する。

わかば (護衛艦)(ローマ字:JS Wakaba, DE-261)とは、1956年から1971年に就役していた海上自衛隊の護衛艦である。その前身は日本海軍の橘型(改丁型)駆逐艦「梨(なし)」であり、数奇な艦歴で知られる。
同型艦はなく、ネームシップの“わかば”のみである。





名稱由來

按照舊日本帝國海軍艦艇命名法,一等驅逐艦以天象、気象、海洋、季節來命名(昭和18年追加植物名)。

梨:落葉喬木,果實可食用。



基本資料
擷取.PNG




艦歴(梨)

駆逐艦「梨」は橘型の10番艦(仮称4810号艦)として、川崎重工業神戸艦船工場で1944年9月1日に起工、1945年1月17日進水、同年3月15日に竣工した。艦長は2月20日から艤装員長に就任していた高田敏夫少佐である。


1945年3月15日をもって第十一水雷戦隊に配属され、山口県柳井市東方及び南方の瀬戸内海において訓練に従事した。燃料事情が悪化しているため、訓練航海は月に数回しか行われず、それも殆どは呉より日帰りの短期のものであった。同年3月に発動された天一号作戦への参加が予定されていたものの中止され、同年4月初頭には柳井市南方の八島(やしま)泊地に移動し、主に停泊訓練を行った。同年5月21日には駆逐艦「萩」と共に第31戦隊第52駆逐隊に編入され、同日に発足した「海上挺進部隊」の所属艦となる。


1945年7月初頭には呉にて改装工事を受け、「回天」の搭載・運用能力が追加されている。以後「回天」基地の所在する山口県平生(ひらお)に移動し、同年7月中は周防灘での回天の各種訓練に従事した。折からの燃料不足により第52駆逐隊には充分な燃料の割り当てがなく、「梨」と「萩」以外の艦は海岸近くに偽装した上で係留されていた。同年7月26日には瀬戸内海西部の山口県平郡島(へいぐん-とう)沖に移動、第52駆逐隊の他の駆逐艦と合流し、4隻合同訓練を行った。


7月28日、平郡島北岸沖において停泊中、アメリカ空母機動部隊艦載機の空襲を受ける。早朝から午後にかけてグラマンF6F戦闘機による複数回の攻撃を受け、艦の各所にロケット弾を被弾、このうち午後の艦後部弾薬庫へ命中した1発により大きな損傷を受け、浸水により傾斜が増大、総員退艦が発令された後、午後2時に転覆沈没した。確認された戦死者は38名、行方不明者を含む犠牲者は60名以上であった。生存者155名は僚艦「萩」と地元漁民に救助され、「萩」にて翌日に呉に帰還した。1945年9月15日除籍。


尚、平郡島では毎年7月に慰霊祭が行われている。1987年(昭和62年)10月25日には「梨」の沈没地点を望む海岸に慰霊碑が建立され、除幕式が行われた。




歴代艦長

艤装員長

高田敏夫 少佐:1945年2月20日 -

駆逐艦長

高田敏夫 少佐:1945年3月15日 -




年表

1944年9月1日 - 川崎重工業神戸艦船工場にて起工
1945年1月17日 - 竣工 同日付で第十一水雷戦隊に編入
1945年5月21日 - 第31戦隊第52駆逐隊に編入 海上挺進部隊の所属となる
1945年7月3日-7月9日 - 呉海軍工廠にて「回天」搭載能力付与のための改装を実施
1945年7月24日 - 第52駆逐隊司令が乗艦し、以後隊司令駆逐艦(駆逐隊旗艦)となる
1945年7月28日 - 山口県平郡島沖の伊予灘でアメリカ海軍機の攻撃を受けて沈没
1945年9月15日 - 除籍




參考文獻

アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)。

雑誌「丸」編集部《写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II》。

高橋治夫 《護衛艦に生まれ変わった“わかば”》。

石橋孝夫《海上自衛隊全艦船 1952-2002》。

歴史群像《太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦 簡易設計ながら生存性に秀でた戦時急造艦の奮戦》。

岡田幸和《改丁型駆逐艦「梨」、護衛艦「わかば」に変身》。

COLOR PHOTO《改丁型「梨」搭載の単装高角砲と発射管》。

世界の艦船 増刊第66集《海上自衛隊全艦艇史》。

フォト・ドキュメント《「梨」から「わかば」へ 改丁型駆逐艦の再生》。

海人社《世界の艦船》。

外山操《艦長たちの軍艦史》。

なにわ会HP>戦記>駆逐艦・梨の戦闘:駆逐艦「梨」の航海長を務めた左近允尚敏(日本帝國海軍大尉、のち海上自衛隊海将)による




參考圖片.資料

google搜尋引擎。

日文維基百科。




相關連結

海上的鋼鐵浮城 日本海軍篇 - 松級驅逐艦(總編集)

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護衛艦 DE-261 わかば(若葉)



若葉號(日語:わかば,JDS Wakaba, DE-261)
是一艘於1956年至1971年之間於日本海上自衛隊服役的護衛艦。若葉號是唯一的一艘若葉級護衛艦,其前身是日本帝國海軍在二次世界大戰期間的梨(なし)號驅逐艦,為橘級(改丁級)驅逐艦的十號艦。在戰爭期間曾一度被擊沉的梨號於戰後被打撈起來,重新武裝成為海上自衛隊護衛艦若葉號,是海上自衛隊所有的船艦之中,唯一一艘曾經在二戰結束前服役過的作戰艦艇。
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基本資料
擷取.PNG




歷史

二次大戰結束數年後,梨號的殘骸在1954年9月21日被從海中打撈起,原本打撈的目的是要將其回收解體,但卻意外發現浸泡在水中數年的船身狀態遠比當初預計良好許多。在經評估之後決定將其改裝再利用,於1955年9月10日至隔年5月31日間,在吳造船廠進行修復工程,並於1956年5月31日以警備艦「若葉號」的身份編入海上自衛隊。這番典故也讓若葉號成為海上自衛隊擁有的所有船隻中,唯一一艘曾在二戰結束前服役過的作戰船隻(如果放寬範圍到其他非作戰船隻,則有數起例子)。


重新編入海上自衛隊艦隊的若葉號,初期主要是擔任無武裝的練習艦任務。1957年9月10日至隔年3月28日,若葉號在浦賀船渠進行了第二次的改裝工程,這次換裝上了新的武器與電子裝備。之後若葉號又曾在1960年9月2日至12月28日、1962年2月2日至7月30日、1963年2月13日至3月27日,分別在浦賀船渠進行了第三、四、五次的進廠改裝,更動的項目大都與雷達等電戰設備有關。這主要是因為若葉號雖然重新進行了武裝,但大部分負擔的仍然是非作戰的實驗艦或雷達哨戒艦(Radar picket ship)用途。


由於沒有其他同型艦存在,若葉號的維護與操作一直都是海上自衛隊的困擾。1962年時,若葉號曾在三宅島上的火山爆發時,擔任過疏散民眾的運送工作。1968年若葉號被編入實用實驗隊,作為聲納與魚雷等新武器的試驗艦。若葉號一直服役至1971年3月31日,在除籍之後被售予江田島的古澤鋼材廠,解體回收。





參考文獻

アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)。

雑誌「丸」編集部《写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II》。

高橋治夫 《護衛艦に生まれ変わった“わかば”》。

石橋孝夫《海上自衛隊全艦船 1952-2002》。

歴史群像《太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦 簡易設計ながら生存性に秀でた戦時急造艦の奮戦》。

岡田幸和《改丁型駆逐艦「梨」、護衛艦「わかば」に変身》。

COLOR PHOTO《改丁型「梨」搭載の単装高角砲と発射管》。

世界の艦船 増刊第66集《海上自衛隊全艦艇史》。

フォト・ドキュメント《「梨」から「わかば」へ 改丁型駆逐艦の再生》。

海人社《世界の艦船》。

外山操《艦長たちの軍艦史》。

なにわ会HP>戦記>駆逐艦・梨の戦闘:駆逐艦「梨」の航海長を務めた左近允尚敏(日本帝國海軍大尉、のち海上自衛隊海将)による






參考圖片.資料

google搜尋引擎。

日文維基百科。





相關連結

海上的鋼鐵浮城 日本海軍篇 - 松級驅逐艦(總編集)


護衛艦 DE-261 わかば(若葉) 日文維基

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